現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

現実20200419

 

 

 

 とはいっても、現実というのはコロナ一色である。コロナコロナとニュースで言っている。ここでどうしても考えてしまうのは、人と接しなくてもストレスを溜めないというのは稀有な才能であるということである。

 私自身インドアの極みのような性格のため、一か月間家から出なかったこともあるくらいである。しかし、一般の人々にとってそれはかなり難しいことだとよくわかった。

 家にいるとかなりいろんなことを考えてしまう。時間があるからである。これまでは、スノボに連れて行ってもらっていたがシーズンが終わったため、それもなくなってしまった。(実際は、鎖骨を骨折して救急車沙汰になったためでもある)

 仕方なく英語の勉強をしている。やはり向いてはいないのだけれど、以前より苦手意識が少ないような気がしている。というのも、全ての学力が低下している現在、一番落ち幅少ないのが英語であるからである。幸か不幸かわからないが。

 ただ、英語には学問特有の腑に落ちる感覚があまりにも少ない。「これがこうなってこう」というようなものである。私はこの感覚が好きだから勉強をしていた。

 英語はテクニック&暗記である。それ以外のものは要求されていない。それだけ愚直に時間をかけることができるかということに全てがかかっているような気がする。

 まぁどのような教科にも言えることだが、教える人間が余りにも下手である。

 

 

 教えるといえば、派遣の教育係をしている。(3か月ぶり2度目)2年目の人間に教育をさせるなよという気持ちはかなり強いのであるが、刺激がない毎日だったので総合してうれしい話ではある。

 教えるという行為はある程度の上下関係があって初めて成立するものであるということを痛感している。厳密には上下関係というよりも教える側の確立した立場が重要である。私は自身の業務についてどれほど理解しているかという点、社会人としての規則をどれだけ理解しているかという点に一切の自信がない。

 そのような人間は物を教えることができない。曖昧ななにかを伝えるに留まる。これでははっきり言ってなんの効果も期待できない。

 幻想でもよいので教える側には自信が必要である。その点、これまでの教育者というのは非常に優れていたと言えるだろう。

 もう少し、対象の人間と認識を合わせる必要がある。今回の相手はできる側の人間だと思う。そのため、任せている部分が大きい。私が彼女に対して媚も売っていない。それは彼女にとって必要ないものだと考えたから。それが放任しているとみなされたのであろう。なんと難しい話だろう。

 

 

 会社はベストシナリオを描いているように見える(コロナウィルスのおかげで人と人が出会わなければならないことは非常に少ないことが可視化されている)これまでは自動車などが主要な産業であったが、移動するという考え自体を再考しなければならないと思って就活していた。その認識で入社したため、今年度も業績は良さそうである。

 あとは自身の未来があり、待遇に反映されれば言うことがないのだが。

 総じていえば会社に不満はない。ただ、刺激の足りない毎日を送るのに飽きてきたというだけであろう。いつものことである。飽きた時のために、時間が確保できる道を選ぶというのは高校からの自分の道しるべである。

 

 

 

 少なくとも、新聞を読んで情報を入手する必要がある。やはり、世間からずれていくのを看過しているといずれ大きなしっぺ返しを食らう。自身の先見性をもう少し信じた方がいい。

 最近もう少し頭良くなりたいという欲求がでてきたのは良い傾向だと思う。一度は捨てた考えであるが、実績から言って一番向いていることである。

 

 コロナウィルスが収束したら国立科学博物館へ行ってみたい。

 強そうな人間と仲良くなりたい。

 

 

 新しい世界を見たい。自信を取り戻したい。