現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

会社

 あまりに学校に似ている。義務教育の。大学はその点でかなり特異であると言える。

時間に縛られて作業をし、時間になったら帰るのである。ただし、帰れない場合もある。私の会社は人数がそれほど多くないのでさながら中学校一学年といった感じである。そのため、おおよそ全ての人の顔と名前が一致する。仲が良いとは別の問題である。

 ここまで書いて気付いたが、文章が美しくない。一文を読み返さずに書き続けているからだろう。たまにはこういうのも良いのかもしれない。無駄に時間ばかりかけても伝わるものが書けるとは限らない。

 会社、学校と大きく違うのはお金がもらえることである。なんのために勉強するのかはなかなか難しいといであるが、何のために働くのかという単純な問いに難しさを感じる人は少ないのではないだろうか。この問いを難しいと感じるのであればひねくれているだけである。

 このわかりやすさに救われている。AをしてBになる。故にAをする。というのはわかりやすい。学校ではAをしてなにになるか?はわからない。けれどAをしなければ怒られる。なかなか理不尽である。なぜAをしなければならないのかは今でもわからない。

 Aをする理由が必要だった。怒られない以外の。

 楽しいからだったからかもしれない。人より得意だったからかもしれない。お金をたくさんもらえる確率が高くなるからかもしれない。かなり曖昧である。Aそれ自身を目的とするしかないのにそれは困難を極めた。

 だから、僕は勉強を好きになったと認識した。多分好きでも嫌いでもなかった。

 会社、ある程度適当に過ごせるので良い。僕の会社だけかもしれないが、基本的に何しても許される気配がある。新人ボーナスか、多少仕事ができるから多めに見てもらえているのかは謎である。

 調子に乗りすぎないようにしよう。と思ったがそれでは今までと変わらないので調子に乗りまくることにした。

 変化のある人生がいい。できれば成長がいい。飽きてしまう。

その意味で勉強することは嫌いではなかった。

 会社において何が成長に相当するものなのかは不明である。ランクアップなのだろうけど一年に一回ではモチベ上がるだろうか。しかも可能性である。

 本当に、趣味を見つける可能性がある。

 社会的に評価され、コツコツとでき、自分のアイデア、思考力を発揮でき、すぐにフィードバックが返ってくる。という条件が満たされていれば結果を残すことができるというのは長い人生の中で実証済みだ。

 ちなみに、社会的に評価されは一番軽視していると思う。

ポケモン、資格取得、料理、(mtg)はこれらに当てはまっている。

 料理も自分でレシピを考えられるように(何をしたら何が起こることが分かる)状況になればかなり楽しいと思う。

 会社、人に教えるというのは難しい。今回たまたま物分かりのよい人に教えているが、そうでなかった場合は実際にやっているところを見せてマニュアル作ってもらうしかなさそう。(それでできるようになるならそれはそれで頭いいが)

 会社、新人なのにそれ以上の仕事を任せ、新人の給与なのは気に食わない。もっとよこせ。来年わけわからない給与だったら色々考える。

 会社、フィードバックは給与なのだから、それを目当てに頑張るしかない。下衆な意味でもそうでない意味でも、ベースアップはモチベである。

 会社、なぜ儲かっているのか不思議である。再現性がなければ意味がない。社長次第ではあるが、十年後くらい後のことまで道筋立ててほしい。

 会社、実は不満がそれほどないことに気づいた。今のところ退屈はしていない。