現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

『異形の愛』 キャサリン・ダン

 

 有名な小説ではあるらしい。ただ、人に勧められるものではない。そういう触れ込みがあったので読んでみた。レビューを見てみると「長い物語」とあるものがあった。確かに長い本であるが、後半の1/3はすんなりと読むことができた。

 物語の背景が一般常識とかけ離れているために読むのに苦労するということだと思う。後半になってくると読者も本の世界観になじんでしまう。

 それは、読者自身の一般常識が揺らぐということに他ならない。

 筋が通っている話では合った。しかしながら、(世間一般において)論理的であることと正しいということは異なっているということを痛感させられる。

 筋が通ってさえいれば、結論がどのようなものであっても受け入れるというものが素晴らしい人間であると思っている。しかし、多くの人間は導かれた結論が余りに悲惨であるならば、受け入れない。ともすれば、そのような思考をする人間を糾弾しさえする。(『たったひとつの冴えたやりかた』を読んで結末が想像できた人など)

 その意味でこの本を通して、自身の理解を超えた想像力に触れるというのは大事かもしれない。(一般的な人間はこの本を読まないし、価値観が揺らぐこともないだろう)この本を読むという段階でかなりフィルタがかかっているし、この本の評価が高いことも頷ける。

 タイトルにあるように愛がテーマであることは間違いない。しかし、世間のフツウとギーク達の距離感もテーマであるように感じる。(このタイトルは歪んだ愛、と歪んだ子供達をかけているだろう)

 普通とはなんなのかという問いは、社会不適合者の皆さんなら一度は抱いたことがあるだろう。自分が悪いのか、世界が悪いのか(主語が大きい時は大抵調子が悪いだけなので休んだ方がいい)という問いは、答えるのが難しい。

 そもそも、一定の思考力があれば全ての間違いを自分の責任に帰することは容易である。すなわち、自分が悪いという結論ありきで論を構成することはあまりにもたやすいのである。 この点は、精神患者に頭の良い人が多い、世間と乖離した人が多いという誤解につながっているだろう。

 私が思うに、世間の人々とは視野狭窄で世の中を公平に観察できていない。

 ただ、それが愚かで論理的に間違いであってもそのような人々が多数派である以上、それが正解なのである。この本は、社会のはみ出し者にとって有益であり、はみ出し者の気持ちを少しでも理解したいと望む者にとって宝になるだろう。