現実Frommの逃走

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奨学金とかいう学生ローン

 

 

 最近?というか単に僕が大学生になってそういうことを考えるようになっただけかもしれないのだが、奨学金を返済することができない人が多くなっているという話をよく聞く。結構いろんなところで聞くのでソースは提示しないことにする(探すのがめんどくさいさい訳ではない)

 

 ここで、奨学金という単語の定義を改めて整理しておく。(wikiを使った)

"能力のある学生に対して、金銭の給付・貸与を行う制度。金銭的・経済的理由により修学困難とされる学生に修学を促すことを目的とすることも多いが、金銭的・経済的な必要性を問わず、学生の能力に対して給付されることもある。通常先進国では奨学金は給付奨学金をさす"

 

仕方ないので更に整理する。

 

①能力のある学生に対して金銭の給付・貸与を行う制度。金銭的・経済的理由により修学困難とされる学生に修学を促すことを目的とする

②金銭的・経済的な必要性を問わず、学生の能力に対して給付されることもある

 

 共通する点は「学生の能力に対して」という点である。学生の能力を担保にお金を貸している状況ということを改めて述べておく。(給付の場合には問題とならない)

そもそも、奨学金(特に①の意味において)は就学困難とされる学生に就学を促すための制度である。そこで、ここでは①における貸与の状況を想定して書く。

 

 想定される状況というのは、市場においては異常な状態であることは理解されると思う。なぜなら、金銭的・経済的に問題がある者に貸与することは返済されない可能性が非常に高いからである。しかし、学生の就学したい意思を尊重するために貸与を行うのである。貸与を受けた学生は返済する義務を負う。普通であれば返済するのは難しいが、この学生は大学に就学し、且つ能力のある学生であるため平均所得を上回る可能性が高い。端的に言うと返済される確率が非常に高い健全な投資先であるのだ。

 上記の例では、貸与する側、される側の利害が一致しており債権が焦げ付くことは少ない。繰り返しになるが、一見担保になるようなものが無くても、学生の能力(=将来性)が担保となりお金を借りることが出来るのである。

 

 


 

 もう一度、話を冒頭に戻すことにする。現在、奨学金が焦げ付くことが問題となっている。ではこれは何故なのか?

 もうほとんど答えは提示したように思う。つまり、日本学生支援機構が能力のある学生に貸与を行っていないということである。この機構から奨学金を借りている人ならわかると思うのだが、第一種と第二種奨学金が存在しており、一と二の審査基準というものは経済的理由によるものが殆どであり学生の能力は余り加味されていなように感じる。これは自分自身や周囲の人間から得た情報なので間違っているかもしれないがとりあえずこういうことにしておく。(補足すると第一種は無利子であり、第二種は卒業時点から利子が付くという違いがある。)

 因みに二というのは申請すれば基本的に通る奨学金である。こうしたことから、日本学生支援機構が学生に対して貸与を行い、結果的に焦げ付いているというのは至極当然の帰結であり、話題になるほど驚くべき点がないように思われる。

 


 

  では、態度を改めて能力のある学生に貸与を行うようにしたとする。こうなれば、奨学金の回収不能というのは少なからず改善されることは間違いがない。しかし、全盛期と比較するとやはり回収率は低下したままであると考える。

 その理由としては、現代が、大学全入時代と呼ばれる時代だからである。大学全入時代が示すことは就職活動においても自分と同じような大学生が多いということである。すなわち、単に大学を卒業したというだけでは付加価値は殆どなく、かと言って大学を卒業していないと取り合ってもくれないという時代だと推察できる。大学卒業ということはステータスではなく、最早前提となっている。

 かつて、有能な学生に貸与するということは保険が二重にかけられていた。それは、有能という点と大学生という点である。しかし、先程も述べたように、現在において大学生という事実には殆ど価値はない。こうすると、平均所得との乖離は縮小し、必ずしも健全な投資先とは言えなくなる。

(大学に入って卒業するまで学生がずっと有能であるならば、保険を二重にかけなくても良いと感じるが、自分の身の回りを考えるに・・・)

 

 


  

 ここで、奨学金の問題について解決策を考えるとすると、貸与をやめる、有能な人物にのみ貸与するということは容易に考えられる。だが、貸与をやめてしまうと大学全入時代に大学に行けないという人間が出てしまうため、やはり貸与であっても継続したほうが良いと考える。(実際は大学に行かなくとも色々就職する道はあるように思われるが、様々な方面から非難され結局は貸与することになると考えるため、結論だけを書いた)

 

 有能な人物を限定することはあまり難しくない。例えば、赤門の周りにいる人は有能である可能性が高い。そういう集団であれば、平均所得からの乖離は他の集団と比べてもずっと大きいと考える。

 結論を述べる。現在の奨学金の体系からはかなり遠ざかってしまうが、大学ごとに貸与し、焦げ付きがあれば、その大学がカバーするという体型を作ればある程度この問題は解決するということである。(これが許されるのかどうかは知らない)

 日本学生支援機構側の目的は恐らく有能であるが大学に通うことが経済的に困難である学生を通わせるということだと推測するので、その目的自体は達成されることになる。

 もう少し詳しく説明すると、大学はどれぐらいの金額を借りるかを独自に決定し、独自の基準で学生に貸与し、回収不能となった分は奨学金事業を通じて確保されたお金を用いてカバーするということだ。

 大学側は自身の学校に有能な生徒があまりいないと考えるならば、奨学金制度には参加できず、そういう大学は淘汰される可能性が高い。(そこに通う学生たちは有能ではなかったのだ。奨学金の定義をもう一度見てもらいたい)大学全入時代であればそういうことが起こっても特に問題はないように感じる。

 この制度になれば、大学側ももう少しきちんと教育しようと感じるだろうし、就活支援もしようと思うだろう。これまでの制度は、リスク分担の観点から見て少し違和感がある。