現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

現実 19年3月6日

 

 

マスメディアの話題

貿易赤字拡大

カルロス・ゴーン被告が保釈される(スズキの軽)

みずほ業績下方修正

ファーウェイ、日本企業へ部品供給を要請

HIVウィルス、治療成功2例目

レオパレス騒動、他社へ飛び火

日経続落

 

Twitterの話題

人工知能界隈の人材

背景及び事件

①「初任給で800万円欲しい」と主張した学生から議論が過熱した。

②IT業界は他の業界と比較して新卒にも多くの給与を与える傾向にある。

③特に人口知能界隈はバブルではないかとの懸念がある。

論点

①初任給の上昇が適正かどうか。

中途採用のように即戦力を期待され、使い捨てされても文句言えないのか。

ジョブセキュリティは確保できるのか。

 

JavaScript

背景及び事件

①Coinhvie(PCを用いてマイニングするプログラム)を作成した人が逮捕された。

②今回は、兵庫の女子中学生のイタズラとも思えるプログラムが原因で補導された。

③この事件についてはJavaScript生みの親が、証言する予定である。

論点

①警察はどのような観点で摘発を行っているのか。

①´スクリーンショットによる摘発の話題。

②プログラム作成者は自衛可能か。

 

トイレで女児暴行

背景及び事件

①トイレに女児が一人で向かった際、暴行されて子宮全摘となった。

②そもそも①は都市伝説ではないか、との都市伝説マニアの方の証言。

論点

①これが都市伝説化どうかという問題。

フェミニズム運動?

③社会に存在する悪い人間をどこまで管理できるのかという問題。

③´SNSにアップされる不適切動画との関連。

 

その他

 

水泳の池江さん

背景及び事件

白血病を公表していた。

②たくさんの励ましのメッセージを受け取る。

③本日のツイートは、とてもしんどいといった内容。

論点

①人はなぜそこまで他人の病気に関心を持つことができるのか。

①´高価な医薬品の問題。

 

確定申告

背景及び事件

①くそだるい。

マイナンバーで管理されたい。

 

・頭おかしい人はブロックすべきか?

→ミュートすべき

・犬は飼い主に似る

・就活の合間にはイートインのコンビニがオススメ

この年で多くを失いながら手に入れたもの

 

 

この数年間は原因不明(諸説あり)の体調不良のため、寝ていることが多かった。また、外へ出て何かしようという気にもならなかった。それ故に手に入れたものなんて何もないと思っていた。

簡単に言うとひどく後悔していたのであった。つまり、手に入れたと錯覚することによって正当化するという試みなのかもしれない。

どちらにせよ、どこかで一区切りさせねばならぬ話であって、年が区切るというタイミングがありちょうどいいと思った。この結論に達するのがこの年齢になってしまったのは残念だが。

 

一つ目に、人生の目的と言っては大層だが、なにができるようになりたいのかというのを思い出した。それは、「5秒後の未来を視る」ことである。「視る」のであって、推測とは異なる。

5秒という短さは単に事実を観察しただけに過ぎないのかもしれない。それほど近距離の、だけれども確実に未来の出来事について正確に捉えることがしたかった。

なぜそう思っているのかは今となってはさっぱりわからないのだけど、今になっても魅力を感じているし、人生をかける価値があると思う。私にとってこの目的以外の全ての行動は手段である。今後は忘れないようにしたい。

「5秒後の未来を視る」というのは観察者であって行為者でない。観察することによって、対象に変化が生じるなどという話もあるが、今回はその話がしたいのではない。

他に目標としては「未来を創る」というものが挙げられると思う。この言葉の響きは非常にかっこいいが、未来は創られるものであって創るものではない。と思う。創られた未来があったとしたら、それは彼にとっての未来であって本来の未来ではない。

また、私自身、自分以外の人間の未来を操作するというのはあまり好ましくないと考えている節もある。人間の意思を尊重するとかそういった視点というよりかは、未来を操作可能であると思ってしまうこと、又はその事実が個人に耐えられるものではないことに起因する。

これは、権力者になりたいか開拓者になりたいかという問いでもあるように感じる。

何はともあれ、これは私個人の能力の限界を決めてしまっているということである。

 

二つ目に、限界は存在するということを思い出した。至極当たり前のことではある。しかし、これを直接言及してくれるような人間というのは非常に少ない。「君たちの未来は無限の可能性で満たされている」というのが常套句であるから。そして、限界があるかどうかはやってみなければわからない。

限界が存在することについて、時間をかければ大抵のことはできると思っていた。これについては今も思っているかもしれない。ただ、時間をかければできることは他者にとってもできることである。ただ、やるかやらないかの問題である。

従って、やる、やっていた、という意義を見失った際に限界が訪れるということになる。

 

三つ目に、人間はそんなに大層に生きる必要がないということ。やったほうが良いことをすべて行うことは不可能であるし、やるべきことを全て列挙することすら凡人には不可能だろう。

何かをする意義というものは他者が与える場合がほとんどだろう。それは、やるべきこととして与えられたかもしれず、一方でやった方がよいこととして与えられたかもしれない。

どちらにせよ、自分の意思のみで意義を生み出すことはほとんど不可能だと思う。これについては人生の課題としても面白いのかもしれない。「なんのために生きるか」という大きなテーマではなく、単にある行動を取り上げて何のためにそれをするのかを考える。その目的が自分のみに依存しているかを逐一チェックしてみれば良い。

 

四つ目に、何のために行動しているかという問いに、自分のためにと答えていたと思っていたらそうでなかった。ということが挙げられる。

おそらく、これが自身にとって一番衝撃だったのだろうと思う。

社会の評価を気にせずに、自分の意思に基づいて行動し、その行動の責任はすべて自分で引き受ける。

この信念が成立しないまま生き続けていたという事実は、読まれることなく掃除道具となる新聞紙ほど悲しいものだと思う。より性質が悪いのは、人間であれば信念を変更することも認識して軌道修正することも可能とされていることである。

私は十分に愚かだったのでできなかった。

 

まぁ可能であるということと、義務であるということに隔たりがあるように、目的と行動について乖離があっても誰も困らないのだと思うが。

 

五つ目に、私は他者、少なくとも平均的な人間と比較して違和感に対して敏感であるということである。

自分にとって都合のよい世界を作ろうとすれば、矛盾に対して敏感にならざるを得ない。理不尽と感じるものは多くあったように思う。また、同様に安牌とされるもの、正解とされるものについても敏感であった。この能力を活かしたために今の自分がいるのであって感謝してもしきれない。違和感がなくなった世界での自分は、自分ではなく社会なのだろう。

社会は理不尽とよく言うが、そもそも理不尽を飲み込んだものが社会なのである。

 

六つ目に、正解は無視した方がよいということ。そして社会における安牌を無視して自分の意思に従うのは想像より難しいということ。

正解に従った場合、ある程度まではうまくいく。しかし、何らかの問題が生じてうまくいかなくなった時に、責任の所在が宙に浮くことになる。完全に自分の責任にすることもできずに、社会を恨むだけの存在になる可能性がある。

それには意義がないから。

 

正解に従わなかった場合、まずそれをおこなうこと自体が難しい。もし仮に失敗した場合、正解を知っていたのにそれに従わなかったという後悔をすることになる。正解の道に進んでいたからと言って人並みの人生を送れたかどうかはわからないにも関わらずである。

 

従って、私のような人間が目標とすべきスタンスは、正解を認識しないこととなる。

認識した時点で負けであるから。

 

つまり、私の能力を活かしつつストレスを軽減するためには違和感を認識することと、正解を認識しないことの二つが必要である。

これについては、違和感を解消しつつも、優劣をつけないようにすることが大切である。単に存在するだけであり、優劣がない。という境地に達することができれば、偏見がなくなり、正確に未来を視ることも可能になるだろう。

 

頭は良くならなかったが、そもそも頭がそこまで良くなる必要がなかったということに気づいた。この事実は大きい。私は、目標を定めると達成するまで意義を見失うことが多々あるということもこれからは念頭に置いて生活すべきだろう。

 

世の中には意味があると思われていても全く意味がないことが多すぎる。

 

 

【MTGArena】シングルトン7勝構築(ボロス、ゴルガリ)

 

 

最近、MTGにはまっています。

友達がいないのでデジタル版のMTGArena(通称MTGA)をプレイしています。

現在、シングルトンという同じカードを一枚ずつしかデッキに入れることができない構築イベントが開催されています。(基本土地は何枚でもよい)

 

勝ちたいので、記事を漁ったのですが、なかなか見つからなかったので、MTGAに参入を考えている人やシングルトンの構築を探していた人の参考になればと思います。

 

二つのデッキを紹介します。ボロスとゴルガリです。デッキリストを張り付けるので、コピーしてMTGAでIMPORTしていただければ勝手にデッキができるはずです。

注意点としては、ワイルドカードに余裕がなく、最適なカードが選択できていないと考えられる部分です。そのような欠陥構築なので、コピーされる方がいましたら持っていないカードは適宜補っていただければと思います。

 

シングルトン(ボロス高速~中速)

1 Hunted Witness (GRN) 15
12 Plains (RIX) 192
1 Healer's Hawk (GRN) 14
1 Legion's Landing (XLN) 22
1 Skymarcher Aspirant (RIX) 21
1 Adanto Vanguard (XLN) 1
1 Ajani's Pridemate (M19) 5
1 Knight of Grace (DAR) 23
1 Sunhome Stalwart (GRN) 26
1 History of Benalia (DAR) 21
1 Militia Bugler (M19) 29
1 Ajani, Adversary of Tyrants (M19) 3
1 Resplendent Angel (M19) 34
1 Conclave Tribunal (GRN) 6
1 Lyra Dawnbringer (DAR) 26
1 Goblin Banneret (GRN) 102
7 Mountain (RIX) 195
1 Legion Warboss (GRN) 109
1 Experimental Frenzy (GRN) 99
1 Rekindling Phoenix (RIX) 111
1 Justice Strike (GRN) 182
1 Boros Challenger (GRN) 156
1 Tajic, Legion's Edge (GRN) 204
1 Aurelia, Exemplar of Justice (GRN) 153
1 Heroic Reinforcements (M19) 217
1 Sacred Foundry (GRN) 254
1 Clifftop Retreat (DAR) 239
1 Boros Guildgate (GRN) 243
1 Stone Quarry (RIX) 190
1 Mentor of the Meek (M19) 27
1 Dauntless Bodyguard (DAR) 14
1 Lightning Strike (M19) 152
1 Shalai, Voice of Plenty (DAR) 35
1 Baffling End (RIX) 1
1 Swiftblade Vindicator (GRN) 203
1 Leonin Vanguard (M19) 22
1 Leonin Warleader (M19) 23
1 Haazda Marshal (GRN) 13
1 Rustwing Falcon (M19) 36
1 Unclaimed Territory (XLN) 258
1 Invoke the Divine (DAR) 22
1 Banefire (M19) 130
1 Shivan Fire (DAR) 142

 

このデッキのコンセプトは、相手が事故っている間に勝つことです。かなり回して5000Gと7パックが残ったので悪くないと思います。

対応するのではなく、対応を迫るデッキがシングルトン環境では強いと考えたからです。全体除去は限られますし、初手から動くことが難しいからです。

相手が「アズカンダの探索」を貼っている間に、タージクまで出すことができればもう勝ったようなものです。

種族土地がありますが、基本的には「兵士」と入力すれば丸いです。手札にライラやシャライがあれば「天使」と入力すれば丸いです。

また、回している間に「破滅を囁くもの」を突破する手段がないことに気づき、フィニッシュ手段にもなる「苦悩火」を追加しています。

回復シナジーと教導シナジーウィニーシナジー(ラッパ兵や1マナ払ってドロー)があります。なので、意識するとブン回ります。

回復がかなりの量になるときがあるので、粘って「狂乱の実験」で勝てたことも多いです。

このデッキは初めの頃かなり勝てたのですが、環境が遅くなるにつれて理不尽に負けることが多くなったため、ゴルガリミッドレンジのデッキを構築しました。

迷走している感じがするので、天使要素や「シヴの火」、「神聖の発動」を抜いて殺意を高めたほうが良いと思います。しかし、負けるときは理不尽に負けます。対策してしまいます。そのくらい精神衛生上よくない負け方をします。

そのため、可能であれば、対応力の高いゴルガリをおすすめします。

 

 

シングルトン(ゴルガリ中速~低速)

8 Swamp (RIX) 194
1 Moment of Craving (RIX) 79
1 Midnight Reaper (GRN) 77
1 Phyrexian Scriptures (DAR) 100
1 Ravenous Chupacabra (RIX) 82
1 Ritual of Soot (GRN) 84
1 Twilight Prophet (RIX) 88
1 Vraska's Contempt (XLN) 129
1 Cast Down (DAR) 81
1 Doom Whisperer (GRN) 69
1 The Eldest Reborn (DAR) 90
1 Llanowar Elves (DAR) 168
11 Forest (RIX) 196
1 Druid of the Cowl (M19) 177
1 Dryad Greenseeker (M19) 178
1 Merfolk Branchwalker (XLN) 197
1 Wildgrowth Walker (XLN) 216
1 District Guide (GRN) 128
1 Jadelight Ranger (RIX) 136
1 Elvish Rejuvenator (M19) 180
1 Reclamation Sage (M19) 196
1 Thrashing Brontodon (RIX) 148
1 Tendershoot Dryad (RIX) 147
1 Vivien Reid (M19) 208
1 Multani, Yavimaya's Avatar (DAR) 174
1 Find // Finality (GRN) 225
1 Status // Statue (GRN) 230
1 Assassin's Trophy (GRN) 152
1 Vraska, Golgari Queen (GRN) GR8
1 Golgari Findbroker (GRN) 175
1 Underrealm Lich (GRN) 211
1 Vraska, Relic Seeker (XLN) 232
1 Karn, Scion of Urza (DAR) 1
1 Memorial to Folly (DAR) 242
1 Foul Orchard (RIX) 188
1 Golgari Guildgate (GRN) 248
1 Overgrown Tomb (GRN) 253
1 Woodland Cemetery (DAR) 248
1 Seekers' Squire (XLN) 121
1 Deathgorge Scavenger (XLN) 184
1 Kraul Harpooner (GRN) 136
1 Arguel's Blood Fast (XLN) 90
1 Isareth the Awakener (M19) 104

 

土地を順番に出していき、プレインズウォーカーを出せば勝てます。プレインズウォーカーに打消しを完璧に合わせられたり(墓地から引っ張ってこれるので諦めない)、早すぎるウィニーは事故と割り切ることが必要だと思います。

除去が少ないかもしれませんが、プレインズウォーカーの能力で何とかなる場面が多かったです。

この構築がベストムーブすれば負けることはないと思っています。

デッキからカードを引く手段を多く用意しているので、長期戦にも対応しやすくなっています。ただ、削れたライフを回復することが難しいため、注意が必要です。

墓地を再利用することが強みで、シングルトンのような限られたカードプールにおいてはより強力な特性になっています。なので、メタカードとして、構築でも人気の切り裂き顎を採用しています。

低速同士の戦いだと、リッチを大切に扱えばLOにも対応できる点がこの構築の魅力だと思います。

 

 

シングルトンの全体的な感想として、土地事故を防ぐために、色は2色までかと思います。なので、ラヴニカのギルドで強化されたギルドの中から選ぶのが良いと思います。緑が入っていれば3色用いて勝てるデッキを作ることができると思います。

カードプールが狭いため、ミッドレンジが強い環境です。完成度の高い高速デッキができれば何連勝もできると思います。

優良な打消し呪文は数が多くなく、展開された際に除去を持っているケースというのを想定することが難しいため、クロパや現環境のようなコントロールを作成するのは難しいと思います。

盤面は、シールドやドラフトと同じく拮抗しやすいです。(回避能力持ちが強い点も同じです)そのため、中速以降のデッキには全体除去が必要です。「煤の儀式」は高速のデッキをメタることが可能です。「クラリオン」では打点が足りません。また、これらの全体除去は同型に弱すぎるので、「ファイレクシア経典」を個人的にはおすすめします。注目したいのは、伝説以外を除去できる全体除去です。

強いクリーチャーは、昇殿達成でドレインする飛行クリーチャーと、昇殿達成で苗木を生むクリーチャーです。これらは除去するか、こちらも同程度の脅威を展開しなければ負けます。

「アジャニの群れ仲間」専用構築も見かけましたが、デッキに一枚しかないこと、チャンプブロック可能なこと、除去可能なことからデッキが完成した際には対策できているはずです。

飛行クリーチャーは「再燃するフェニックス」、「黎明をもたらすものライラ」が強く、それに一方をとれる「破滅を囁くもの」も強いです。

あと、強いエンチャントが存在しており、中速以降のデッキでエンチャントに触れることのできないデッキでは勝ちづらいと考えます。

墓地利用できるゴルガリが強い。プレインズウォーカーを利用できるゴルガリが強い。ということです。白ウィニーが作れればメタることは可能かと思います。

 

駄文にお付き合い下さりありがとうございました。

この頭痛さえ愛おしい

 

メンタルがやられているときは、無気力感や思考力の欠如などに加えて、視界が狭くなっていることが多かった。これは、メンタルの良い時期と悪い時期を幾度か繰り返し経験したからわかったことだ。

調子がいいと、空は広いし輪郭は明確だし色は鮮やかで世界が美しく見える。

今日は非常に調子が良くて、色んなものが見えるようになり、色んなものが聞こえるようになって、それにまつわる事柄を考えることができた。(ほとんどは非常にどうでも良い、まさにこのブログの内容のようなこと。)

半日ほど外出していて、夕方には頭痛がしていた。頭痛止めを持ってくるのを忘れていたことに気づき、久し振りに起こったのだとわかった。

これは、目や耳が外界の刺激を正確(か過剰)に受け取っていることを示している。痛みさえ嬉しく思えるのかと、かつての自分、あまりにも遠かった自分を認識した。ただし、完全に過去の自分に戻ることはできない。

そんなことを考えたあと、深呼吸して、澄んだ夜、体に取り込み帰路に着く。

 

 

死刑制度にまつわる思い出

 

 

同じ高校の人と大学の一般教養を受けていた。彼女は高校時代から可愛いと評判で、女性の名前を挙げるときは安牌として有名だった。従って、彼女と講義を一緒に受けていたのではなく、私が同じ空間にいただけある。

 

いつものように教室の後ろに座ると、その日はたまたま発見することができた。

 

その講義は大教室で行われ、少なくとも100名は学生が出席していたと思う。授業内容は憲法を理解しようというもので、私はどれくらいの人が授業を聞いているのかを理解しようと試みていた。

 

そんな講義の途中で「死刑に賛成の人、手を挙げてください」と講師が挙手を促した。

 

大教室である。誰かを名指ししたわけでもない。加えて、大学生は無気力である。

 

にもかかわらず、一人、また一人と手が挙がっていく。

 

すると、大勢の学生と共に彼女はスッと手を挙げた。

 

背筋が張り、指先までも伸びた、誰よりも美しいと感じさせる姿だった。

誰よりも力強い意思を感じた。

 

ただ、どことなく野蛮さ、見てはいけないものを目撃してしまったような罪悪感に囚われた。

 

「死刑に反対の人、手を挙げてください」と声が聞こえた。

 

考え事をしていたため、出だしが遅れた。しかも、少数派であることを宣言することへの躊躇があった。私はひどくゆったりと手を伸ばした。片方で頬杖を突きながら、もう片方で手だけを伸ばした。

 

そういった葛藤があっても、私より先に挙げている人は5人もいなかった。気になって後ろを向いてみたが、私が少数派であることを知る人間が講師以外にはいないとわかっただけだった。

 

その後の授業は、なんとなく身が入らなかったので適当に聞いていた。

 

もう一度彼女の方を見て、それまでの彼女に抱いていた可愛らしさがすっかり消えてしまったのを確認して、教室を出た。

 

 

 

 

ゼネラリストかスペシャリストか

 

 

 

私は、これを長年考えている。頭の隅に置いてあり、行動の指針とすることがある。ゼネラリストかスペシャリストかどちらを目指すのかという問題は重要な意思決定の場面である。

 

AIの台頭が叫ばれている昨今の事情を念頭に置き、論を展開したい。(ただし、私も他の多くの人同様にAIについて多くの知識を持っているけではなく質の悪い推論に留まるだろう)

 

結論を述べると短期的にはスペシャリストが優勢で、長期的にはゼネラリストが優勢になるだろうということである。以下それの理由付けである。

短期、長期が具体的にどれくらいの期間なのかは見当もつかない。しかし、この移行は段階的なものであると考えるのでこの方向性を推論することに意義はあるだろう。

 

まず、囲碁、将棋は専門知識が必要かという問題があるだろう。これについては多くの人が必要だと答えるだろう。(通常利用する機会のない知識でもあるが)また、この分野でAIは驚異的な実績を残したことに意義を申し立てる人もいないだろう。

 

学習には教師信号が必要である。それゆえ、パソコンは決まったことをこなすのが得意であり、答えのあるものを解くのが得意なのである。人間に期待されている創造性は一般的に答えがないとされているものである。

 

①人間の専門知識がAIに代替可能になるまで(と認識されるまで)は現在と同じようにスペシャリストには安定的な収入と名誉が与えられるだろう。しかし、②専門職を目指す場合でも、これから生まれてくる人類はAIと同じだけの知能を人間が入手することと他の行動をすることを比較しながら生きていくことを迫られる。つまり、私が勉強したところでAIを追い越せるのか、信頼に値されるだけの何かを獲得できるかという問題である。この点について、①、②の段階でAIの技術進歩は①>②であっても成立すると考える。

専門職は現段階では安泰かもしれないが、将来的には急速に代替されていく可能性がある。人間が行うことそれ自体に意味があるとされている分野(囲碁将棋、スポーツ、モデル、民主主義的な何か)は除くが、AIに任せる風潮になるだろうと予測する。また、そうしなければ労働生産性が落ちるので国際競争ができない。(自国内で支出を賄える場合は別だが、基本的には国際競争力は高める必要があると考える)

 

翻訳家を考えると良いと思う。google翻訳がどんどん高度化しており、大意を掴むには十分だと考える人は増えていくだろう。その時代において、翻訳家になろうと夢見る少年少女はどの程度出現できるのだろうか。もし、多言語を高度に使う場合であれば、真に専門家である必要があり、その覚悟はあるのかと常に自身とAIの競争をする必要がある。(美しい訳は存在すると思うので、そういった文学的要素が求められる領域では必要とされ続けるだろう)

 

その時代に必要とされるのは他分野のことを浅くでも知っている人間だろう。英語と文学ができる人間等である。知らないということがわかるということや、調べることができるということはある程度の水準の理解がないとそもそも到達することができないということに最近気づいた。(目の前にパソコンがありながら高度な意思決定ができないことからでも理解すべきだったのだが)それは決して高度な領域ではないと考える。単に取っ掛かり程度のものである。

 

将来的に本当に求められるのは抽象化するスキルであったり、一般化するスキルなのだと思う。これは、学問分野だけでなく、単なる個人の経験からの導出も可能な人間である。(測定方法があるのかどうかは私にはわからないが。)

 

専門家ではダメな理由としては、わからないことがわからないということは、わからないため認識されない。また、本来認識する必要はそれほどないのだと思うからである。これは余談であるが、見えないものが見えると主張する人間のことを人は(精神)異常者と呼ぶ。

 

それらを踏まえて長期的にはゼネラリストになる方がよいと考える。(もちろんそれに加えて専門知識があればなお良しだろう)

 

 

 

一方で、遠すぎる未来よりとりあえずの明日が重要である。

 

非論理的であるから、それを伝える

 

 

論理的である。または、論理的だ。が指す内容は

 

Aという仮定が成立するならばBである。ということを他者に示せることだろう。

表現を変えて、AならばBである。ということ(A⊃B)を主張できるということである。

 

さて、Aという仮定が共有された場合に、Bが論理的に導けるのだとすれば、そもそも論理的な内容を論理的に主張する意味はあるのだろうか。

具体的には、自然数という概念を共有しており、1+1=2であるという仮定(+1という操作の意味を共有)がある場合に、1+2=3を主張する意味があるのかということである。

Bが論理的に導けるのであり、かつ会話の登場人物が①論理的思考力や②前提となる知識を持っていれば、主張する意味はない。

 (①または②を有していない他者を想像することはできるだろうか、できたならその他者と意思疎通ができるかどうかも想像してほしい。)

 

それはつまり、自明であるからである。

しかし、論理的であるとは自明であることの積み重ねを意味する。

 

自明だと考えている何かを主張することは、自身が非論理的であるという証明か、他者を軽蔑しているという証明を与える。

 

 

 (ここからも私見)

 ところで、論理というものは

本来、言明が真か偽かを見極めることを目的にしている。

その拡張としてA⊃B(これもまた言明である)が真か偽かという問題まで扱えるようになった。

つまり、論理的であるとは、Aの真偽やBの真偽がどちらなのかを判定することにあるとも考えられる。 

しかしながら、ある情報が与えられた場合に、それが本当かを疑うことを批判的とは言うが、論理的だと形容したことを見たことがない。

さらに言うならば、この行為は評価対象にならないことが多い。否定されたと感じるというのがその理由だというが、実際否定しているのだからその点に関して問題はない。

問題なのは、否定そのものに意味があるということを忘れ、肯定のみを求めているのではないかということである。

個人的にはある結論が成立するように、可能性の一部である前提を仮定することはたやすく、全ての可能性を列挙するように前提の数を増やす(選択肢を増やす)ことは難しいと考える。(指針がないためである)

また、その前提が受け入れられるかという段階になるとさらに難しいだろう。

 

ここで、論理学の話へ移るとA⊃Bは条件法と呼ばれ、Aが真でかつBが偽の場合、偽となり、それ以外の場合は真となる。

 (現実問題として、Aは仮定であり常に真であることが通例ではある。)

 

 ★これは実はわかりにくく、読み飛ばすことを推奨する。↓

 例:ジョーンズがマラリアにかかっていれば彼には治療が必要だ。

ジョーンズがマラリアにかかっているをp、ジョーンズには治療が必要だをqとすると、

pが真でqが偽のときのみp⊃qという言明は偽となる。

偽への変換は語尾にーでないを付与することによって達成される。

★↑

 

 ここで、(科学の)反証可能性の話をしたい。

 

ポパーという人が考えた科学と非科学を分ける基準である。(理解している自信はありません)

端的に言うと、ある理論が科学的だと主張するためには、反証される可能性がなくてはならない。

 

例:ある理論が正しいならば、実験によってある現象が起こる。

 

ある理論が正しいをp、実験によってある現象が起こるをqとするとp⊃qと表現できる。

このとき、人間が観測できるのは現象のみでありqの真偽しか調べることができない。

条件法は、pが真でかつqが偽の場合、偽となり、それ以外の場合は真となる。

従って、pが真であるということを現象を観察する(qの真偽)ことによって積極的に主張できないということを指す。

つまり、pが偽でqが真の際に言明全体としては真となってしまうのである。(もちろんpが真でqが真の際に言明全体としては真である)

しかしながら、反証されれば確実に言明全体として偽となる。つまり、反証をしてみて反証されなかったことに対して科学的だと考えなければならないということである。

ここで重要なのは、まず科学というものは反証可能性がなくてはいけないということと、次に、長い時間によって反証に耐え続けたものがより価値があると考えられるということである。最後に、反証されたとしても科学は進歩するということ。

 

(補足として、反証のしやすさが問われることもあるだろう。つまり、明日雨が降るという予報と、一週間以内に雨が降るかもしれないという予報ではどちらが否定されやすいかということである)

 

ここで、個人の生き方は正しいかどうかを考える。

 

言明:個人の生き方が正しいならば、〇〇が生じる。

 

私は、どちらかというと一貫した考えで生きていたいと願うので科学とまでは言わないまでもその考え方を流用する。(すくなくとも利害関係のない第三者に不利益を被らせないように生きていきたい。一貫した考えということ、嘘をつかないことなどその類のことはそれを意味しているのだと思う。ちなみに民法で一番好きなのは法定地上権です)

また、この考え方に特化することもまた重視する。これは、正しい生き方をより狭く定義することである。ある意味で狭い視野を意味する。(私はこの考え方の中で何もかも否定するという戦略を採用してはいない)

 

例のごとく

p⊃qとすると、qを観測することは容易である。そして、反証を受けながらも正しいと考える生き方をすべきだと思っている。そして、これは今まで私が生きてきた時間によって補強されてきた。

しかしながら、反証された場合にどうするかという問題が浮上する。生き方が偽であった場合に人間はどういった行動をすべきなのか、それは非常に難しい。

(だが、反証されるという危うさを持っていることもまた科学の条件である。すなわち、反証された際、残念だと思う同時に安堵したと思えるということである。私自身M体質だと思っていなかったので理由がわからなかったのだが恐らくこういうことだろう)

 

根拠もなく何かを信じるということがいかに大切かがよく分かる題材とも言えるだろう。

スペシャリストとゼネラリストの違いはスペシャリストは前半の論理性を持っていて、ゼネラリストは中盤の論理性を持っているような気がする。

スペシャリストはある分野(選択肢)に価値がある、と無批判に信じることが必要である。一方、ゼネラリストは逃げ道があるという安心感と引き換えにすべてが否定されるという危うさがあると考えられるのかもしれない。(?)

 これらはどちらも肯定されうるだろう。

 

 

 

余りにも正しい人が余りにも正しいことを言う

それは否定の余地がない。そうであるならば、恐らくその言葉に意味はない。

そうであるならば、正しくなくてよい。それを主張できるほどの気概が欲しい。

 

 

 

(正しい人を否定する意図はなく、その人の思う正しさが正しいと無条件に認められる場所で本来は過ごすべきなのだろう。私の見てきた社会人は余りにも正しく、これからも正しくなっていくのだろうと思う。)