現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

現実と虚構の狭間で

四時間暇潰しできたし、神のコンテンツという他ないな! 

 「小説家になろう」に投稿しました

以後、小説家になろうに投稿すると思います。

 

※あまり構想を練ってないから読みにくくなるかも知れません。その辺は諦めてください。(いつも構想練っててアレかよとか言わないようにな!)

 

 今、生きているその人、つまり、私や貴方がどうして「私」や「貴方」になったのか。その問に答えを出すのは容易ではないだろう。これは、個人としての自己がどのようにして始まったのかと換言できる。換言したが、私達が始まりを言い当てるのは不可能だと言っていい。なぜなら、自己の始まりはそれを認識する主体が発生する境界にあるからだ。しかし、見方を変えるなら、境界にあるが故に可能であるとも言える。

 自我の形成と自己の形成。自我の形成が自己を生み出すのか、自己の形成そのものが自我と呼ばれるのか。結局は「鶏と卵」といった類の話なのかも知れない。

 成熟した大人は形成された。大人であるが故に。大人と子供といった距離のある両者は互いを認識することが難しい。自我の形成された大人が子供を観察し、記述したとしても、それは単に虚構といって差し支えない。心理学の実験においても、子供時代の記憶は容易に改竄できることが知られている。ただ、これには条件があり改竄するためには信頼できる人の言葉が必要だということだ。つまり、信頼できる人はそれ故に真に信頼できる人ではない。即ち、自己の始まりを主体に認識させるのではなく、非常に身近な存在である客体にさせ、それを自我の芽生えた後になってから聞いたとしても何の意味も持たないということだ。

 その意味でこの物語はフィクションだ。なぜなら、私は大人と呼ばれる年齢になったからだ。しかし、もう一方ではノンフィクションだと言ってもいいだろう。むしろ、一般的な分類としてはこちらに属するのだろう。だからといって私はこの意見を読者に押し付けはしない。従って、私を子供と大人の正に境界だとして、フィクションでもあり、ノンフィクションでもあるとするのか、また、どちらでもないとするのかといった問題は未だ解かれないままになっている。

 述べるまでもなく、小説なのか評論なのかといった分類は重要ではあるが、ある文章の本質を捉えることに役に立つわけではない。どういう形式なのかという予測に役立つとしても、内容を予測するのには役に立たない。だが、私は分類の全てを否定するわけではなく、過去の辛い経験を小説にしてノンフィクションだと名付けるたとするならば本質を捉えていると言う人もいると考えている。共感によって同情を誘いたいと考える作者であれば、そうするだろう。

 私の持つ古い記憶は先ほど述べたように修正されている可能性があるのだが、その中で唯一確信の持てる記憶はテレビを見ている記憶だ。これは、私でなくても言える当然の記憶。ハイハイをしたとか、立ち上がったとか、ご飯を食べたとか。これらのように、記憶がなかったとしても一般的に考えれば経験していて当然の記憶。なので、それについて言及しても意味はないと考えているだろう。

 だけれども、AがBを規定し、BがCを規定し、Cが自己を規定している場合に私はCを認識できるだろうし、ひょっとするとBを認識できるだろう。そういった意味での記憶。記憶を改竄されたとするならば、Aから自己への流れはこれ程美しくはないだろう。そう考えられたなら、私が確信を持って記憶だと言える記憶はAである。古い出来事は長期間、多くを規定していく。古ければ古いほど観察できなくなっていき、古ければ古いほど推論できるのかもしれない。

 

 

 教育番組を見ていた。だからといって教育されたかったわけではないだろうと思う。能動的な教育は単に勉強と言っていい。理解できる番組がそれしかなかった。そう考えるべきなのだろう。当時はまだ幼稚園児だった私には物事を考える能力が殆どなかった。無知であったし、そのために無垢でもあった。

 今思うと理解しすぎたのかもしれない。ただ、理解しすぎたと知ってAをA'に変化させたとするならば、この文章は生まれたかっただろう。その主人公である私も同じように。

 「ともだちひゃくにんできるかな〜...」歌詞を聞いていた。意味を汲み取るには簡単すぎる詩。友達を作ることはよいことで、沢山の友達が居れば楽しい日々が送れるのだ。さらに、それは一般的なことである。それに近いことを考えた。幼稚園児だった私は一年生になる前に友達を作ることに躍起になった。小学校の一学年に百人もいないのだから。

 出会う同世代全ての人間に声をかけた。男性女性問わず。恐らく、人生で一番輝いていた時期だと評価されるのはこの時点だろう。私の考えた友達の作り方は、まず名乗り、名前を訊ね、友達の契約を結ぶ。こういったものだった。こうして友達を作ったあとに頭の中で人数をカウントしていくのが当時の最大の楽しみだった。時には同じ人に対して契約を二度結ぼうとしたこともあったが、大抵の場合、二度目の契約は向こう側から拒否されるのだった。

 名前を聞いておきながら、関心があるのは数字だった。友達を作りながら。

百人の友達を作れずに小学校へ入学した私は、ひどく自分を恥じたように記憶している。ノルマの半分も達成できていなかったからだ。当然、授業が進んでいく中でも百人を超えることができず、楽しい学校生活を送る条件を達成することはなかった。

 しかし、驚いたことに同級生の殆どは私と同じように百人のノルマを達成できていなかった。私は嬉しかっただろう。閉鎖された空間が開いていくように見えたのだから。しかし、驚いたことに同級生の殆どは私と異なり楽しい学校生活を送っているようだった。

 楽しそうな同級生を見て私は考えた。楽しい生活を送るのは単に友達の数ではなく、他の理由があるのだろうと。よく観察してみると、友達契約を結んでいるものはいないし、私のように数字を重視している者もいなかった。友達というのはそれ自体が重要なのではなく、それによって得られる経験こそが大事なのだとその時気づいた。当時の私といえば、一方的に友達契約を結んだだけで、それ以降は話すことがなかった人の方が多かった。そんな人間に友達と呼べる人間は一人もできない。私は友達を押し付けていた。

 

 

 月日は流れ、小学四年生になる。私はクラスで一人というわけではなかったが、客観的に見ても友達の数は少ない方だったと思う。私は友達の数が重要ではないと学んだあの日から、他人の気持ちを考えるようになった。本当の友達とは契約によってではなく、お互いに友達だと認め合うことによって成立すると考えた。

 だが、いくら考えても他者の気持ちを完全に理解することは不可能である。

 だから、自分から話しかけることは少なくなった。相手は友達を強制させられているのかもしれない。全く面白くもないのにつまらない人間と話しているのかもしれない。そういう思考の果てだった。もし、話しかけられることがあれば話しかけてきたそいつの責任だとして、話しても良いだろうという考えにも同時に至った。だが、話を切り上げたくても切り上げられずに強制していることもあるだろうと考えた。そこで、面白い話をするようになった。自分のできる範囲ではあるが、それなら、例え強制だったとしても許されると考えた。多分、そうあって欲しいと願った。

 当時、イジメが全国的なニュースになり、学校側も対策に追われる事態となった。対策といってもアンケートをして、イジメがないことを文字通り確実にするという内容だったと思われる。それは、匿名のアンケートで非常に簡単なものだった。早い人なら一分も要らない。そのアンケートにこんな質問があった。

 「あなたは友達が何人いますか?数字で答えてください。」

 この単純な問を目の前にして私は一年生の頃の記憶が蘇り、少し気分が悪くなった。友達において重要なのはその数字ではない。そう言いたかった。だからといって、現実で言うことはしなかった。流石にクラスの迷惑になると思ったからだ。また、言っても理解されないと思った。そうこうしている内に気分が晴れた。なぜなら、あの頃の私とは違うのだから。友達を単に数字だけで評価しているのは馬鹿のすることだとそう思った。他の人はまだ気付いていないのかもしれないが私は気付いた。この問いに答えがあるとしたら、やはり一つしかないだろう。なので、私は自信を持ってこう回答した。0だと。

 ところが、残念ながら唯一の不正解だったらしい。基本的にアンケートは正解発表されないのだが、私にだけ不正解発表がなされた。それは、校内アナウンスを通じて、呼び出しを受けた私に知らされた。先生と二人きりの教室で直接。一応、真面目に過ごしていた私は大変驚かれた。「どうして友達がいないの?」そんなことを平気で言ってきた。私は、ひどく失望していた。不正解だとしれされても尚、正解だと信じているから。だから、先生の問には答えなかった。答えられなかったのではなく答えなかった。答えても理解されないと思った。不正解と正解の距離は余りに遠く、そのために、お互いを理解することはできないのだとそう思った。理解できるとすれば、小説などによって他者の経験を追体験することによってしかないだろう。

 後日、親と先生の面談があったのは言うまでもないことで、先生の問いに私が答えられなかったことが伝わったのも言うまでもないことである。ただ、この内容に対して母が「友達の定義によるんじゃないですかね」と答えたことに関しては言及しても良いだろう。

 大学生になった私は「お前友達いるの?」と聞かれたら今でも「いない」と答える。いないと答えるが、冗談のように言う。冗談として通じているかは疑問だがとりあえず冗談ということになっている。理由を聞かれて上記の話をしてもいいが、つまらない。

 面白くない会話は極力しない主義だ。だが、友達がいないと答える理由が面白くなかったとしても、強制されない環境であれば伝えてもいいだろう。

 

 私の経験を何人に伝えることができて、何人に伝わったのかという答えは未だに解決されていない。ただ、0が正解でないことだけ確実に言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*補足 

正と不の境界が0みたいなところある