現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

自由研究

 

 私がまだ小学生だった頃、他の小学生達と同じように夏が好きだった。少し肥満気味の現在では少し考えづらいことであるが、そう記憶しているのだからそうなのだろう。夏は暑くてやる気が削がれてしまう。そこは、小学生の私も同じであって、夏休みの宿題を最後まで貯めておくタイプの生徒だった。したがって、当時の私にとっての夏とは大好きであり、大嫌いでもある期間であった。

 夏休みがこんなに愛されるのは、通常学校に行くことを強制されているからだろうな、と考える。強制から自由になることに人は幸福を見出すらしい。しかし、かつての私、いや、私達を苦しめた宿題の王、自由研究もある意味そういう面があるように感じる。ドリルなどはただ淡々とこなすだけでよく、そこに発想は必要ない。ただ、自由研究に限っては発想なしには終わらせることができない。

 自由研究がとにかく嫌いな私は、夏休み終わりの最初の授業に出したことはなく、結局小学校を卒業するまで一回も提出することはなかった。小学校を卒業した時の感動は忘れられない。もうあの忌々しい自由研究をしなくて済む、そう思った。実際は一度も提出していないのだからあってもなくても同じではないか、と思うかもしれない。しかしながら、教師に毎日宿題を催促されるのは子供にとってかなりの苦痛だった。提出しない自分が悪いことはわかっていた。それどころか、何か仕打ちがあるのではないかぐらい思っていた。

 

 私が大学生になった頃から、政府の活動が活発になってきた。勢いはなにかの宗教なのかと勘ぐってしまう程だった。その内容というと、「自由を拡大する」というものであった。制限は最低限度に抑え、自由な領域を拡大し続けるというものであった。正直、今思い出すから書けるのであって、私がどれだけ理解できていたのかは定かではない。私は私が自由を拡大するのは素晴らしいことだと思っていたことを覚えている。なぜなら、これまでの歴史とは自由の追求によって生まれたといっても過言ではないような気がするからだ。

 この政策は人々の支持を強く集め、私が社会人になる前にほとんどの領域が自由になった。これについては、選挙権のなかった小学生が聞くと反対したかもしれない。しかし、殆どが自由になったからといって、犯罪が容認されるわけでなく民が自由に処罰する。これは、余りにも強いと制裁を喰らうため、結果として、以前とあまり変わりがない。

 大人になると、全てが自由になった。仕事に行くのも、税金を納めるのも。しないのは自由であるが、見返りを受けられないだけである。だから、私は渋々ながら、給与の高い政府に務めることにした。私の部署は、簡潔に言うとクレーム処理係で、頭の悪い私にはここぐらいしか行くところがなかった。

 

 

 

 

 少し物思いにふけっていたのは、夜遅くまで家で残業をしていたからだろう。これも、私の自由意思である。当たり前のことではあるが。

 

気分転換にテレビを付けると、コメンテーターが今日も同じ調子で話している。

 

「強制された自由は、果たして自由と言えるのでしょうか?」

 

私達、大人の自由研究は終わりそうもない。