現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

優しい優子の一生


 優子はドジで間抜けです。さらに、記憶力もよくありません。しかし、優しく真面目だったので、嫌われることはなくみんなから愛される存在でした。

 記憶力が悪いといっても優子は家が都市から離れた場所にあり、住みやすい町だったことぐらいは覚えています。 しかし、どういうわけかいつもとは違い今は調子よくポンポンと昔のことを思い出します。何故か強い後悔の気持ちもありますがさっぱり見当もつきません。



  小学生の頃、こんな課題が出ました。
「自分の名前の由来をパパやママに聞いてきなさい。」
名前の由来なんて考えたこともありませんでした。しかし、とりあえず言えるのは優子は自分の名前が嫌いだったということです。それは単純に「優」の文字が書きにくかったことが原因です。親友の未来は同様の理由で自分の名前が好きだと言っているので羨ましく感じます。

 家に着いて真面目な優子は早速、課題に取り掛かります。記憶力が悪いということも早めに済ます理由の一つだと思います。今日は金曜日なので、父が一番暇だと言っている時間でした。父に聞くのが料理を作っている母に聞くより早そうです。
「名前の由来ってなに?」
「それは、お母さんに聞いてくれ」
なんて無責任なんでしょう!優子はそれ以上の返答はせず、母へ聞きに行きました。
「ねぇ、名前の由来教えてよ!」
「それはね、優しい子になって欲しいという願いを込めたのよ」
きちんと答えてくれました。やはりこの人に付いていこうと心に誓います。優しいことはよいことで、期待されているのならそうなろうとも思いました。

 月曜日、名前の由来を発表することになりました。 優子は誇らしく
「私の名前の由来は優しい子になれるようにです」 と答えました。

未来は「未来を見通せる人になれるようにです」 と答えていました。

 名は体を表すとはよく言ったもので思い返してみれば、確かに未来は大きな事件の犯人を何度か当てていたことがあります。このことは、私を含め友達には相手にされなかったので大人も当然このことを知っている人はいません。
その日の放課後、未来は
「もっとキラキラした名前が登場するかも知れないね。そうなると由来を聞いて来い。なんて宿題でなくなるかも。」

 そう言っていました。未来の言っていることはさっぱり分からないので、文節で頷く技術を習得することができました。

 1ヶ月ほど経った道徳の時間では優しさとはどういうことかを学びました。小学校で一番記憶に残っている授業です。なにせ、自分の生きる意味を教えてくれるようなものなのですから。
「自分がされて嬉しいことを相手にしてあげなさい。それが優しさです」
 適当な議論をした後先生はこう締めくくりました。優子は何かがわかったような気がしました。人に優しくすることはとても素晴らしく、やはり良い名前なのだと再認識しました。
「先生は優しくないんだね」
ぼそっと言ったのはやはり未来です。先生は私達の嫌いな課題を毎日出してくる。きっとそういうことが言いたかったのでしょう。しかし、実際どうだったのかは未来にはもう会えないので分かりません。




 月日は流れ、キラキラネームという単語が巷を騒がせている頃、成長した優子と未来は同じ中学校へ進学することになりました。中学校は遠く、電車でないと通うことができません。とはいえ、電車は終点から乗ることができたので確実に座ることができました。

 徐々に満員になる電車の中で、見知らぬおばあちゃんがこちらへ押しやられてきました。きっと誰からも譲られることなくここまでやって来たのでしょう。優子は優しい子です。当然のように席を譲ります。こんなことは中学校へ行く回数だけ起こります。いえ、実際には帰りにも同じことが起こるので殆ど二倍なのでした。
 自分の足腰が悪いならラッシュ時は避けるべきであるし、他の交通機関を考慮するべきではないか。そうも考えられますが、優子は違います。人にされて嬉しいことをするために席を譲ります。

「優子は惨めだね」
「そうなの!私、それしか取り柄がないから。」
「やっぱり、優子は真面目だね」

 確かにこんな会話をしたような気もします。 一人を救うことで一人を救えてもそれ以外を救うことはできない。そんなことを考えていたのもこの時期です。この頃の優子は電車の中で立っている全員が席を寄越せと脅迫しているようにさえ見えていました。そのため、終点から立ち続けて学校まで向かうことにしました。これなら、文句は言われません。優しさを避けるようになってしまいました。罪悪感を感じてしまうからです。

優しいことは良いことであり素晴らしいことであるので、正義です。

しかし、優しさを提供できる場面は日常に溢れ返っています。その全てから請求を受け続けるのは耐え難いことでした。小学生のように非力ならば何もできませんが、中学生の優子には何でもできてしまいます。

「私ってどう見えてるの?このままでいいの?」
「そう、待とう。きっと分かる日が来るよ。」

一瞬の内に全てが理解できるような、そんな響きを持った言葉です。未来は一体どこまで分かっていたのでしょうか?私も、もう少しで分かりそうな気がします。それとも、もう答えは出ているのでしょうか。




 高校生になった優子、やはり電車通学です。これまでと同じように学校へ着くと、お弁当を忘れてしまったことに気づきました。財布も忘れてしまったようで、購買でパンを買うこともできません。我ながら本当に間抜けだと痛感しました。
昼休みになると、先生から呼び出しをくらいました。真面目だけが取り柄なのに呼び出されたのは相当なショックです。どうしてこうなったのか頭の中をどう検索をかけても引っかかる単語すらありません。それは、仕方ありません。優子は記憶力がないのですから。
 理由がわからないのに叱られに行くのは気分が落ち込みます。深呼吸をしてから職員室の扉を開けると、紙袋を渡されただけで解放されました。教室へ戻ってから中身を確認すると、忘れたはずのお弁当が入っていました。父は今日も仕事なのでやっぱり母なのだろうと、高校は結構遠いはずなんだけどなぁと、ここまでの道のりを考えてみました。

 単純な優しさに触れることは余りにも久しぶりで、お弁当を前にして数十秒見つめ合ってしまいました。この光景はクラスメイトからは奇妙に映ったことでしょう。優子はやはり優しさは大切で人を救うんだと理解しました。
 しかし、災難は続くもので、優子はその日の帰り道、ヤンキーに絡まれました。非力なのでどうすることもできず、ただ黙っていることしかできませんでした。苦痛な時間は過ぎるのが遅いです。こうやって記憶を思い出すときでさえ、相当長く感じます。ただ、サラリーマンがやってきて

「離れなさい!」

 こう言ってくれたおかげで、ヤンキー達は逃げて行きました。しかしながら、数十秒後にヤクザのような人を連れ帰ってきて私はリーマンと一緒に絡まれることになりました。 まるで、ドラマのようで立ち尽くしていた私にリーマンは

「早く逃げなさい」

 そう声を掛けてくれました。まるで、ドラマのようで少し笑ってしまいました。その後、走って逃げる途中振り返ってみるとリーマンは正面からボコボコにされていました。何故か背中のスーツが破れていたのできっと同じように誰かを助けてきたのだろうと勝手に推測しました。

  リーマンはその後なにか良いことがあったなら救われるのにな

 良いことをしたら良いことが悪いことをしたら悪いことがきちんとその人に降りかかればいいんだけど。そういうことを考えています。それは、他人にだけ向けられたものなのか自分にも向けられているのかは今になっても分かりません。
 リーマンは優しいし、そういう人にこそ報われて欲しい。そうならば、少なくともあのときに私と出会ってさえいなかったらボコボコにされることもなかったのではないのだろうか。
 人に会っても罪悪感を感じるだけだからいっそのことなるべく人と交わらない生活をした方が良いのではないか。そういう結論に至りました。たとえ、優子が世界で一番優しい人であったとしても、とりあえずこういう選択をしました。このことに関して誰が非難できるでしょうか。悪いことは何一つしていませんし、優子の一生ですから誰も口を挟むことは許されません。一つ言えることは、もし、世界一優しい人が優子であるならば社会は大きな損失をしたということです。




 あぁこれは昨日の出来事です。流石の優子もここからは完全に記憶しています。ただ、記憶しているからといって全てを記述できるというわけではないようです。余りに深い悲しみも、それに起因する行動もきっと本人の口からでさえ語れないでしょう。


 記憶力の悪い優子はこんなタイミングで、最後の瞬間に人生の全てを見る現象のことをゆっくり思い出し始めますが、もう全てが手遅れのようです。

 きっと、優子にとって心を許せる相手とは母のことだったのです。そういうわけで、母の優しさを受けることには罪悪感を感じることはありませんでした。よく考えてみれば甘えすぎていたのだと思います。


 高校二年生になってからは唯一の居場所である家にいることが殆どで、学校へは全く行かなくなりました。簡単に言えばニートとしての生活を送っていたわけです。今日という日はそんな日が始まってから丁度一年が経った日のことです。  
 
二階にある優子の部屋からでも聞こえる声で両親が何か議論をしています。

昔、私に関心がなかった父も一周年記念の今日はどうやら優子に興味があるようです。

母の叫ぶ声が聞こえます。

「なにが優子よ!二度とその名前を口に出さないで!」