現実Frommの逃走

人に伝える技術を高めるために色々やってみてます。

やたらネガティブキャンペーンしてる人って結構いる


 前回は少し調子に乗ったので今回は適当に書くことに決めた。 前回のように書くと時間がかかる割に伝えたいことが伝わらないような気がする。

 今回は、やたらに自分のことをマイナス評価する人について考える。 個人的な意見ではあるが、結構見かけるような気がする。意識高い系と同じぐらいかそれよりも多く見られる。  意識高い系はtwitterなどでは割と邪険に扱われているような感覚はあるが、自分を不当に低く評価する人に対してそういった感覚は持たない。両者とも、自分を不当に評価しているという点では違いがないので、この差は意外に思うべきなのかもしれない。





 高校や中学などで、「勉強した?」などという会話を繰り返し聞くことになるが、回答者は殆ど全くやそれに類する言葉を用いる。全く勉強せずに試験を迎えるアホはいない。つまり、嘘をついているわけで、相手もそれは承知していることと考える。(確かに、個人によって勉強をどれくらいすれば勉強したと言えるかは異なると思うが、一般的な範囲で捉え直して会話することぐらい皆できるから考慮しなくていい)  勉強した?と聞いた側が単に安心感を得たいがために聞いていると考えられるため、この回答がベストとも考えられそうだ。

 このような事例のように、自分を不当に低く評価するのならばまだ理解できるが、自発的にネガティブな発言を連発する人については質問に対する回答という形式を採るわけではないので、別の体系であると考える。




 そもそも、ネガる(ネガティブなことをする)人は自身の人間関係をどう考えているのだろうか

 自分がネガティブな発言をするにふさわしいほど劣位であるとすると、周囲の人間はどうしようもないクズに構ってくれる世間的に見て良い人と仮定できる。そこで、ネガる人は周りに不幸を与え続けていると考えることができるため、ネガる人はその理由があるなら、その集団から離脱することで、残されたメンバーの幸福度を上昇させることができるかも知れない。  むしろ、理由がなかったとしても、ネガティブな発言ばかりすることは不幸な感情にさせるのは間違いない。  実際は、優しいアピールするだけで十分な人も多くいるし、そういう関係では共生しているから何の問題もない。(傍から見て気持ち悪く感じる人がいなければ)  一番幸せなのは、自分も含めた全員がクズの集団に属していることだろう。まぁ、その場合、自分に世話を焼いてくれている人のことをクズだと認識しなくてはいけない。 

 意識高い系の援護をしたいわけではないが、意識高い系は方向としては至極真っ当なわけであって、それを非難するのはおかしい気もしている。ネガる人と意識が高い人とを比較するとしたら、私はよっぽど意識高いほうがマシだと思う。  (意識高い系を避難しているのは同様の結果を残せずにただ嫉妬したり、焦燥感に駆られたりしているだけという可能性もある)

無理やりまとめるとすれば、
自分のために相手を利用することがどれだけ許されるのかということ